築城年代は定かではない。永徳4年(1384年)頃には調川周防守続がこの辺りを領していたが、松園屋敷との関係は定かではない。
天文年間(1532年〜1555年)には松園氏がおり、天文11年(1542年)平戸・志佐連合軍に攻められ、松山田の牟田付近で一族は討死したという。
松園屋敷は県道の東側にあり、東の水田から見ると西端に一段小高く、西の県道から見ると小山のように見える。
主郭は南北にやや長い楕円形で一部土塁のような高まりが残る。西下に一段腰曲輪があり北側へと回り込む。北側は横堀になっている。
松園屋敷から県道を南に300m程いったところに松園休己の供養塔がある。
県道沿いに道標が出ている。民家の脇から主郭に続く道がある。
最寄り駅(直線距離)