築城年代は定かではないが内海修理亮泰平によって築かれたと云われる。 内海氏は尾張の出自であるが、室町時代の泰平のときに波佐見に来住したという。
戦国時代の内海城主内海政通は後藤貴明との戦いで討死した。家督は嫡男の政広が継いだが、後藤貴明の攻撃に対して政広の妹照日が呪文を唱えて後藤勢を追い払ったという。この照日姫を祀ったのが照日観音だという。
内海城は野々川ダムの南、東小学校の北東に聳える標高170m程の山に築かれている。
南西麓に九連合会館があってそこに案内板があり、その脇にあるお堂が照日観音堂である。
主郭は山頂で北東から南西にかけて細長く平地が続いており、北東尾根を堀切で遮断しているが、西はほぼ自然地形となる。曲輪は狭く切岸も天然の地形に頼っており、小規模な城である。南側面には横堀状の溝と竪堀状の溝がいくつか確認できるが、山道の名残のようにも見え、城郭遺構ではないかもしれない。
地元の方に教えて頂いたルートは、南の民家の脇から山腹の墓地へ登る道があり、そこから山に入ることができる。
最寄り駅(直線距離)