築城年代は定かではないが建仁2年(1202年)松浦遶によって築かれたと云われる。 松浦清の子遶の時に武辺に城を築いて支城としたという。
長禄年間(1457年〜1460年)頃に惣領相神浦松浦氏は武辺城に居城を移し、延徳2年(1490年)丹波守定の時に大智庵城を築いて居城を移し、また支城となったという。
武辺城は将冠岳から西へ派生した尾根の先端付近に築かれている。
北側にある住宅地の奥の墓地脇から山へ入るとまず目に入るのが、なんとも歪な形状の竪堀群である。一般的に竪堀群は等高線と垂直になった竪堀が並行して並んでいるのだが、ここの竪堀群は北方向と西方向に設けられ、城への入口を撹乱するような感じで設けられている。
主郭は山頂にあって南北に長く、西の谷に面した側面に石積が残る。東から南にかけて土塁か一段高い帯曲輪のようになっており、その下は横堀となっている。南東付近は櫓台状に一段高くなっている。主郭から西へ伸びた尾根には三条の堀切が設けられ、北側の側面に一条の竪堀が残っている。
未整備で案内板も標柱も建っていないが、薮化している所も少なく遺構も良好に残っている。
山への入口がわかりづらい。国道204号線から県道11号線に入って中里郵便局を過ぎ左側に内山内科がある。この先の交差点を鋭角に左折し、直ぐの交差点を南へ入る。道なりに200m程南下すると小さな川を渡り直ぐの交差点を鋭角に曲って団地へ入る。道なりに最奥まで行くと青い屋根の家があり、その脇の道を山へ向かって入れば墓地があり、その脇から山へ通じている。入口の地図
最寄り駅(直線距離)