肥前 大友義統陣ひぜん おおともよしむねじん
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大友義統は豊後国府内主で、文禄の役で三番隊として渡海したが、文禄2年(1593年)「臆病」を理由に改易された。
羽柴豊後守(大友義統) 六千騎。
大友義統陣は名護屋浦南の標高82mの丘陵頂部に築かれている。
主郭は方形囲みのようであるが北西から北東側にl字の土塁が残る。北西尾根は北側に土塁があり内側は低く小さな段曲輪が先端まで続いている。北東側尾根、南西尾根も北西側に土塁が付いている。
南の道路から道があり終点に墓地がある。ここから登るとすぐに主郭に達する。