伊達政宗は文禄の役の時、陸奥国岩出山城主五十八万石の大名で、文禄の役に参陣するために上洛する軍勢は、見事な軍装で行き交う人々を魅了したと云われる。 伊達政宗は渡海して倭城の普請を行った。
慶長の役では京に駐屯しており、参加していない。
伊達政宗 千五百騎。
伊達政宗陣は国道204号線の北にある小丘に築かれていた。 バス停の名がそのまま「伊達政宗陣跡」で標柱が建っているが、全く整備されていない。
遺構は明瞭ではないが、南端部分にコの字に土塁が残っており、これが遺構と思われる。北側は開けているが平坦地である。