堀秀治は堀久太郎秀政の嫡男で、文禄の役の時、越前国北之庄城主で十八万石の大名であった。
文禄の役では渡海しておらず、慶長3年(1598年)越後国春日山四十五万石で加増転封となった。
堀久太郎(秀治) 三千騎。
堀秀治陣は公園されており、全ての部分が整備された唯一の陣跡である。
複郭の陣で、主郭部は半円状に横堀が巡り、西に二条の堀切を経て西曲輪、北に北曲輪、さらに大手口、大手曲輪と続き、その東に東曲輪を配している。
駐車場は北西麓と東側にあり、北西側からだと少し山を登るようになるが、東側からは殆ど登ることなく本曲輪に行くことができる。