福島正則は文禄の役の時、伊予国国分山城主十一万石の大名であった。
文禄の役では第五陣として渡海して戦い、文禄4年(1595年)尾張国清洲二十四万石に加増転封となっている。慶長の役には参加していない。
福島左衛門太夫正則 五千騎。
福島正則陣の場所であるが、地図によって加藤清正陣の西、あるいは北西の二ヶ所あり、いずれかはっきりしなかったのだが、現地に行くと更に混乱してしまった。
まず、加藤清正陣の西側にある場所には、陣跡を示す標柱が建っている。しかし、この場所は尾根上を車道が通っており、周囲も畑などで遺構はよくわからない。
つぎに北西にある標高52mの所であるが、ここには福島正則陣の石碑が建っていた。遺構ははっきりしないが、旗立石があり、先の果樹園となっている所には石塁があり、これが陣の遺構と思われる。名護屋城で頂いた「名護屋城跡陣跡位置図」ではこちら側の場所が陣跡とされており、やはりこの場所が正しいようであるが、近年設置されたと思われる標柱が間違っているのも気になる所である。
石碑のある所へは加藤清正陣の標柱の場所から道がある。清正陣の標柱から丘上に登る車道を進むとすぐに右奥へ行く細い道がある。この道の終点付近が陣跡である。