築城年代は定かではないが貞和4年(1348年)頃に小野崎通胤によって築かれたと云われる。
通胤の子通春は友部城が水利の便が悪いことから山尾城を築いて本城を移し、友部城は支城となった。
友部城は十王駅の西に聳える比高30m程の丘陵に築かれていた。現在は友部城址公園として整備されている。
城の一部は宅地や道路造成によって削られたようであるが、城の中心部は公園として残されたようである。ただあまりに公園化しすぎており、主郭と二郭との間の空堀は浅い窪地程度にしか残っておらず、南尾根の土塁囲みの曲輪も遊具などが置かれている。東端の尾根先に堀切があり、これは遊歩道の一部として明瞭に堀切となって残っている。
駐車場はない。北や南に城跡に通じる道が付いており主郭に案内板がある。
最寄り駅(直線距離)