明治3年(1870年)細川利永によって築かれた。 高瀬藩は寛文6年(1666年)熊本藩主細川光尚の二男利重が新田高のうち三万五千石を分知され肥後新田藩となったのがはじまりで、参勤交代を行わず代々江戸に在住した定府大名であった。
慶応4年(1868年)細川利永は江戸から肥後に下向し、高瀬町奉行所を置いて仮住まいとし、明治3年(1870年)5月には高瀬陣屋を築き始めたが、明治3年9月に本藩である熊本藩と統合されるにいたり陣屋の建設は中止された。
高瀬陣屋は現在の玉名町小学校とその隣の玉名女子高校一帯に築かれていた。 現在遺構はなく、小学校の南側の正門から少し入った所に案内板と高瀬藩校「自明堂」跡、弥富尋常高等小学校跡の標柱がある。