築城年代は定かではない。天文年間(1532年~1555年)の城主は鹿子木鑑員、天正年間(1573年~1592年)には隈本城主の城氏の支城となって城番が置かれていたという。また天文8年(1539年)に隠居した鹿子木親員(寂心)が隠居城として柿原城に移ったとも伝えられる。
柿原城は井芹川に面した丘陵の上に築かれていた。
「城の原」と呼ばれる丘陵の北端部が主郭とされるが、一帯は宅地や田畑となっており、めぼしい遺構はあまり残っていないようである。
集落にある天神宮から北西に進んで行くと道路脇の藪のなかに柿原城の標柱がたっている。
集落内の道は狭く駐車スペースはない。井芹川沿いの道が広いのでそこに駐車して歩くのが良いだろう。
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