築城年代は定かではないが南北朝時代より城砦があったと考えられている。史料に出てくるのは戦国時代からである。
木ノ芽峠(木ノ目)は古来より北陸道の要衝として栄えていた。戦国時代末期に柴田勝家によって越前と近江を結ぶ栃ノ木峠が整備されて以降も重要な道として明治頃まで使用された。
木ノ芽峠城は観音丸城と一帯の城であり、木ノ芽峠を挟むように東西に築かれている。永禄12年(1569年)朝倉義景は織田信長の侵攻に備えて家臣の堀二郎三郎を置いた。 天正元年(1573年)織田信長は越前に侵攻して朝倉氏を滅ぼすと、織田氏の家臣堀次郎・阿閉淡路守貞秀・磯野丹波守がこれを守った。
天正2年(1574年)越前の一向一揆は織田氏の家臣守護代桂田長俊(前波吉継)を討ち、木ノ芽峠へ侵攻し、堀次郎の陣代樋口三郎兵衛は敗れて開城した。下間筑後守は番手を置き、天正3年(1575年)織田信長が再び越前に侵攻したときには、西光寺が守っていた。
国道365号線から今庄365スキー場を目指す。スキー場の駐車場を過ぎてそのまま道なりに登って行くと別れ道がありますが、左に向かって登って行きます。しばらく行くと右側に「木ノ芽峠城砦群」の大きな看板があります。
峠の茶屋はその上に見える茅葺き屋根の家で、その脇が木ノ芽峠です。
西光寺丸城へは車道をそのまま進んで行くと右側に登り口があります。
木ノ芽峠城と観音丸城へは西光寺丸城から尾根伝いに西へ進んで鉄塔保守用の道を行くと峠の茶屋に出る事ができます。一旦車道に戻って峠にいっても良いでしょう。
鉢伏城へは木ノ芽峠から観音丸城へ行き、そのまま尾根伝いに登って行けばたどり着きます。スキー場のリフトの終点までコンクリート舗装された道もあります。
最寄り駅(直線距離)