築城年代は定かではないが志駄氏によって築かれたと云われる。 志駄氏は源為義の子義広が常陸国志駄郡に住んで志駄氏を称したことに始まるとされる。
志駄義時は永禄4年の川中島合戦で討死、その子義秀は御館の乱で景勝方となり、与板城主直江信綱に従って与板城に立て籠もっている。慶長3年(1598年)上杉景勝が会津へ転封となると志駄義秀もこれに従い、酒田城代となった。
夏戸城は夏戸集落の西背後に聳える標高60m程の山に築かれている。夏戸城は本城と要害(詰ノ丸)の二つの城で構成しており、ここでは分けて紹介する。
夏戸城の本城は南北に伸びる山頂の南側を主郭とし、南北と東に伸びる尾根にそれぞれ曲輪を展開している。主郭は北端に土塁があり、曲輪の中央付近にも大きな土塁の残欠のようなものが二基残されているが用途はわからない。北は堀切となって曲輪が続き、東尾根には二重堀切などが残る。南へ下ると本光寺の上の鞍部が大堀切である。
大手は館小路と呼ばれる東へ開かれた谷間で入口に摸擬の大手門が建てられている。
本光寺から北へ進んでいくと諏訪神社がある。神社の前に案内板があり、南に隣接する集会所に車を駐める事ができる。登り口は南にある館小路の西奥がわかりやすく、本光寺裏など複数ある。
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