仁平3年(1153年小国頼行によって築かれたと云われる。 小国氏は源頼政の弟頼行の孫頼連(頼継)が越後国小国保に一万六千五百貫文の所領を得て小国氏を名乗ったことに始まるという。
南北朝時代には小国兵庫助政光が南朝方として活躍した。
戦国時代には小国兵部小輔が上杉謙信に属していた。天正6年(1578年)御館の乱では景勝方となり、三郎景虎方に攻められた。御館の乱の後、小国氏の内紛に乗じて直江兼続の弟実頼が小国氏を継ぎ、天正15年(1587年)小国から大国へと名を改めた。慶長3年(1598年)上杉氏の会津移封により廃城となった。
城は天神山山頂(通称要害山)に築かれている。
主郭は北西から南東へ伸びた山頂にあり、土塁が巡る。この主郭を中心に北西から南東にかけて土塁と空堀で区画された曲輪が連続して配されている。土塁は高い所では内高約2mに達する。
南東の先端から北東に伸びた尾根には土塁の外側を石塁で固めた通路があり、その先に物見台がある。通路から尾根先に向かう側面には畝状竪堀群が良好に残っている。
石塁のある通路から北の谷間に降りると瓢箪池があり、その先に武者溜りと称する削平地がある。
大河ドラマ天地人の主人公直江兼続の実弟実頼が城主であった影響か、良く整備されて一般観光客も山へ登っているようである。麓の岩室温泉とあわせて観光prしているのだろう。
岩室集落内の至る所に道標が建っている。登り口は岩室温泉側からと背後の県道561号線側からの二か所、または松嵩山城経由でも登ることができる。
最寄り駅(直線距離)