永正17年(1520年)浅利頼重によって築かれたと云われる。 頼重は十狐城主浅利則頼の弟である。
浅利頼重は則頼の二男勝頼の二男権十郎頼広を養子に迎え嗣子とした。この頼広は慶長3年(1598年)浅利四代当主浅利頼平が大坂にて急死した後、秋田氏による比内平定戦で笹館城に籠もって戦い討死したという。
笹館城の所在については詳らかではなく、養牛寺から長内沢川に沿って北方に伸びる丘陵に築かれていたと考えられている。
養牛寺の東側の道路に面した部分には低い土塁状の土盛りがあり、西側の神社が祀られている土手もあるが明確な城郭遺構は残ってない。