出羽 仁賀保陣屋でわ にかほじんや
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寛永3年(1626)仁賀保氏によって築かれたと云われる。 寛永元年(1624年)塩越城主仁賀保挙誠が没すると遺領は三人の子に分与され、長男良俊が七千石で家督を継ぎ、次男誠政が二千石、三男誠次に千石となった。仁賀保陣屋は次男誠政と三男誠次の共同の陣屋として築かれた。以後、次男の家系が「二千石家」、三男の家系が「千石家」と呼ばれて旗本として明治まで続いた。
現在は仁賀保神社や斎藤神社が祀られた仁賀保公園となっている。