築城は諸説あり定かではない。 永享3年(1431年)深江岳で大内盛見が少弐満貞や大友持直と戦って討死しており、この頃には城が築かれていたとも考えられている。
戦国時代には高祖山城の原田氏の支城で、深江備前守種秀などが城主であった。天正15年(1587年)豊臣秀吉による九州征伐では原田了栄の次男草野鎮永が深江岳城を守っていたが、原田氏が降伏すると鎮永も城を棄てて肥前に退いた。
深江岳城は二丈岳城とも呼ばれ、標高711.4mの二丈岳山頂に築かれている。麓からの比高は700mを越え、西山腹にある真名子集落からでも300m以上あるが、現在はハイキングコースが整備されている。
深江岳城は山頂を中心に東西に伸びた尾根に曲輪を配している。大きな岩が露出した山頂の東西に曲輪を造成しており、西に一段、東に三段程の曲輪がある。前日に登山道まで来て登りかけた所、急に吹雪いてきたので取りやめ、翌日快晴となったので登ってきたが、山頂部は雪に覆われていた。
雪に埋もれているので遺構の確認が難しいが、急峻な山頂部にも関わらず南側面には石積があり、南西の岩の間には高い石塁を設けている。西下の尾根は二重堀切になっている。
一般的な登山道は真名子集落にある二丈森林公園からの道で、駐車場もある。(地図)
最寄り駅(直線距離)