築城年代は定かではない。『野津町誌』によれば、天正14年(1586年)島津勢が豊後に攻め込んできたときには実相寺統国が守っていたが落城して討死したという。
武山城は標高317.4mの武山山頂に築かれており、現在は登山道が整備されている。
武山の山頂部、三角点のある西峰最高所が主郭Iで東峰に曲輪IIがある。曲輪からいくつか支尾根が伸びているが、堀切などの遮断施設は見当たらない。
主郭は西下に一段腰曲輪、東側に虎口と思われる凹みがある。曲輪IIに続く鞍部は概ね自然地形であるが主郭下に二段ほど小さな段がある。鞍部中央には南北に分断するように土塁状の高まりがあり石も転がっている。これは土地境界線のようでもあるが、不明瞭で自然地形かもしれない。
東の曲輪IIは西鞍部側に小さな凹みが2つ並んでいるが用途は不明である。
登山道は南の麓「生の原」集落にある。集落入口付近がロータリーのようになっており脇に駐車できる。そこから集落上にあがり一番奥の民家の手前を山に入る道があるので、それを進んで行けば良い。道標などはないが、テープが巻かれており踏み跡もしっかりしている。
最寄り駅(直線距離)