豊後 奈多城ぶんご なたじょう

城郭放浪記


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豊後 奈多城の写真
掲載写真数
形態
平山城(25m/20m)
別 名
なし
文化財指定
なし/不明
遺 構
土塁,郭,堀
城 主
奈多氏
歴 史

築城年代は定かではないが室町時代に奈多鑑基によって築かれたと云われる。 奈多氏は奈多八幡宮の大宮司で、宇佐神宮の大宮司であった宇佐氏の分流と云われる。

奈多秀基は奈多八幡の天台宗であった神宮寺を廃し、密室禅師を招いて禅宗である報恩寺を建立した。この報恩寺の背後に奈多城と呼ばれる館城が築かれた。

奈多鑑基の娘が大友宗麟の正室となった奈多夫人である。鑑基は永禄12年(1569年)筑前に出陣中に没し、家督は鎮基が継いだ。奈多鎮基には子が無く、京の公家久我家から万福丸を養子に迎えていたが、天正15年(1587年)奈多鎮基が没すると万福丸は京へ帰ってしまい奈多家は断絶した。

説 明

奈多城は奈多氏の菩提寺である報恩寺の北背後の丘陵に築かれおり、現在は畑になっている。

奈多城はいわゆる館城で広大な台地の上に築かれており、西側に三段程の平段と土塁がある。南と西に堀跡が残る。

所在地/地図
大分県杵築市奈多
付近の城(直線距離)
3.4km 豊後 杵築藩 美濃崎台場
3.8km 豊後 安岐城
7.5km 豊後 今市城
7.6km 豊後 杵築城
8.9km 豊後 台山城
9.5km 豊後 竹ノ尾城
9.6km 豊後 吉広城
最終訪問日
2013年7月
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