築城年代は定かではないが応永年間(1394年〜1428年)に飯塚城主の田原親幸によって築かれたと云われる。
室町時代の田原親宏は一時豊後から追放されており、大友宗麟のときに帰参が許されると国東郡安岐郷を与えられた。このとき安岐城が拠点として整備された。
天正8年(1580年)田原親宏の跡を巡る家督争いで、大友宗麟が次男親家に田原家の家督を継がせようと画策した。親宏の養子であった田原親貫は毛利氏などに援軍を求めてこれに対抗し、安岐城でも田原氏と大友氏で激戦が繰り広げられたが城は大友氏によって落城した。
文禄2年(1593年)豊臣秀吉によって大友義統は改易となり、一万五千石が熊谷直陳に与えられ安岐城主となった。この熊谷氏の時代に近世城郭に改修された。慶長5年(1600年)関ヶ原合戦では熊谷直陳に西軍に属して美濃国大垣城を守っていたが、内応によって落城し直陳は討たれた。
安岐城は安岐川河口の平地に築かれていた。天満宮のある所が天守台跡とされ一部に石垣が残る。その参道が土塁で南西隅は櫓台として空堀に張り出し、外側には内堀が残されている。天満宮の東側が本丸で、その一画にある神社に安岐城の石碑が建っている。