享禄5年(1532年)浦上宗景によって築かれたと云われる。
享禄4年(1531年)浦上村宗が大坂の合戦で討死すると長男政宗が播磨国室津城を継いだが、弟宗景・国秀と不和となり宗景が備前の国人衆とともに分立し天神山城を築いた。
宗景は兄政宗の領地に攻め込むなど勢力を伸ばしたが、やがて宇喜多直家が台頭してくると次第に衰退し、天正3年(1575年)宇喜多直家に攻められ数日の攻防の末に落城し、播磨へ逃れた後は歴史から姿を消した。
天神山城は吉井川に面した標高409.2mの天神山から西へ派生した標高337m付近に築かれている。東西500m程の城域を持つ大規模な山城で、随所に石垣の残骸が残されている。
天神山城は西の尾根先から、下の段・西櫓台・三ノ丸・桜馬場・長屋の段・二ノ丸・本丸・飛騨の丸・馬屋の段・南櫓台・南の段と曲輪が繋がっており、整備された山にそれぞれ案内板が設置されていて非常にわかりやすい。
石垣は三ノ丸の下ノ段から飛騨の丸に至るまで随所に残骸が残されているので、南北の側面を歩きながら登っていくと良いだろう。大手門跡付近の北の山腹に百貫井戸と呼ばれる井戸があり、現在も水が残っている。この井戸は比高にして60m程降りた所にある。
東の鞍部を越えて天神山山頂へ向かうと太鼓丸城があり、本丸から南へ降りた所には天瀬侍屋敷が残る。どちらも見所があるので是非訪れて欲しい。
登山道はいくつかある。一番楽なのは、「和気美しい森」のキャンプ場から太鼓丸城を経て天神山城に至るルートで、キャンプ場の駐車場が利用できる。
西尾根の河本地区から登る道は、天石門別神社の所に登山道入口があり、近くの河本コミュニティセンターに駐車できる(地図)。ここから登った場合、下山時に天瀬侍屋敷ルートを取ることができるので便利である。
田土側からの登山道は天神山城と太鼓丸城の間に通じる。西尾根の河本ルートよりは楽に登ることができる。
最寄り駅(直線距離)