築城年代は定かではない。永正・大永年間(1504年〜1528年)頃に笹部勘解由によって築かれたと云われる。
その後、勘解由の子笹部勘二郎(勘斎)の頃に天神山城の浦上宗景に従った。天正5年(1577年)浦上宗景が宇喜多直家によって滅ぼされると、天正7年(1579年)には茶臼山城も攻められ落城した。
周匝茶臼山城は備前国と美作国との境に位置する茶臼山の東尾根に築かれおり、現在は城山公園として整備されている。
主郭は模擬天守のある曲輪Iで大型の竪穴遺構が確認され、これも復元されている。主郭の南背後は二重堀切6で遮断していたようであるが、駐車場で改変されている。また連続竪堀2も確認できるが、上部は同じく駐車場になっているので旧状は不明である。
主郭の北下にはやや広い腰曲輪II、南側には小さな腰曲輪III、IVを設けており、竪堀との間には井戸がある。井戸は太鼓丸に続く遊歩道下の谷にも確認できる。
さらに南下には緩斜面地形Aが存在するが、元々は東の竪堀2と西側の竪堀が接続していて堀切となっていたものと考えられる。そうであるとすれば改修されたことにより現状のような地形になったのであるが、切岸もなく曲輪とするには疑問があり用途は不明である。
緩斜面Aの下方には放射線状になった畝状竪堀群1が設けられている。この竪堀は長く伸びており、途中から隙間を埋めるように竪堀が増えている。
南の谷筋は麓の八幡神社からの登山道がついているところで、竪堀や堀切から伸びている竪堀が集まり畝状竪堀群4となっている。麓の八幡神社近くには江戸時代に周匝陣屋が設けられていたところであり、中世にも土居のようなものがあったのかもしれない。この谷筋から竪堀を登り緩斜面AからIII、IVの脇を経てIIへ上がり、主郭に入るような道も想定できるだろうか。
東麓の忠魂碑が建っている公園部分は太鼓丸と呼ばれている。西背後の水道施設との間は堀切を想像させ、東に向かって段が設けられているが全体的に斜面が緩く、現状だけでは城郭遺構なのかどうか判然としない。
主郭から西背後の尾根を登ると延命子宝地蔵の脇に堀切8がある。地蔵が祀られた部分は一段小高くなっており土塁の名残のようでもある。ここから東の駐車場に向かって小さな段が設けられており曲輪群Vとなる。
これより西側は岡山藩家老片桐池田家の墓所となっているが、駐車場の南側の尾根に堀切9がある。ただ北側の曲輪となる部分はほぼ自然地形の緩斜面のようで削平されていない。この峰は茶臼山城と大仙山城の分岐点にあたるところである。
天守(模擬 天守)
城山公園の駐車場が用意されており、本丸のすぐ下に駐車できる他、手前の大仙山城入口近くにも駐車場があり、そこには縄張図入の案内板もある。
主郭の公園は開館時間が10時からなので注意が必要。主郭以外の見学はいつでも可能。