築城年代は定かではないが村上氏によって築かれたと云われる 村上顕長(吉豊)は応永34年(1427年)赤松満祐が将軍に叛いたとき、備後国守護の山名時熙に従って討伐軍に参加し、その功によって正長元年(1428年)に多島地頭職を与えられており、この頃に築かれたと推測される。
その後、能島系村上氏の居城となり、城主は村上景広・村上範和・村上就常・村上義則などが伝えられる。
天神山城は田島の西側の北へ張り出した丘陵の先端に築かれており、現在は天神社の境内になっている。境内の南側の尾根に堀切が一条残っている。
南側にある常楽院には天神山城主である村上氏の墓が残されている。
内海郵便局の東側の丘陵が城跡で、南側の福山市内海ふれあいホールの東側に天神社への参道入口があり、ここに案内板が設置されている。
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