築城年代は定かではないが山内氏によって築かれたと云われる。
甲山城を居城とした首藤山内氏は大富山城を居城とした久代宮氏との間で篠津原を巡って度々争っており、宮氏に備えるために雲井城を築城し一族を配してこれを固めたという。
永禄2年(1559年)には山内隆通の家臣田中河内守と宮景盛の家臣奥宮豊後守が戦っており、その戦死者を弔った千人塚が世尊寺の入口にある。写真は篠津原館群aを参照。
雲井城は高駅の東に聳える標高659mの要害山山頂に築かれている。北西の尾根先には支城である福山城、西の谷間には篠津原屋敷群a、篠津原屋敷群bがある。
雲井城は北東の山頂から南西に伸びた尾根に向かって曲輪を連ねており、石垣が多用されている。全体的に笹薮になっているので確認しづらい部分も多々あるが、石垣の隅部は全部崩されており、人為的に破城したのかもしれない。
堀は南西尾根の先端から南へ降りた所に一条大きな堀切があるが、北尾根などには見あたらない。縄張図には南山腹に竪堀が落ちているようだが、これは時間がなくて上から覗いただけだが、自然の谷地形なのだろうか?
国道183号線沿いに道標が出ている。登山道はいくつかあり北の寺川ルートから登り南の市場ルートから下山したが、市場ルートは沢沿いの不安定な道なので、寺川ルートをお勧めする。寺川ルートの入口に駐車スペースもある(地図)
最寄り駅(直線距離)