詳細不明。南北朝時代に飯沼太郎左衛門基義、元亀年間(1570年~1573年)に逸見和泉守が城主であったと云われる。
越山城は中山八幡神社の北東、本郷川の支流に沿って北東へ伸びた山上に築かれている。
北端最高所が主郭Iで一時的に整備されていたようで立派な石碑が建っているが、現在は草に埋もれている。主郭は南端に土塁があり、北東部が一段低くなる。虎口は明確ではないが、北端西側にスロープ状にゆるくなった地形があり、この部分が該当する可能性がある。
主郭から南へ伸びる尾根は幅広の緩い尾根であるが、ここに五条(堀切1~5)の堀切を設けて遮断してる。堀切の間は緩斜面であるが曲輪として積極的に利用したような普請は確認できない。一般的に堀を掘ってでてきた土は城内側に盛り上げることで、城内側をより高くする工夫をするが、この城では外側に土塁状に盛っている部分もあり、堀切に面して土塁を有しているのは主郭のみである。
主郭の周囲は切岸の下方に緩斜面を伴う。帯曲輪と呼べるほどには切岸加工されておらず、自然地形のようである。主郭の北東には堀切6があるが、堀切の外側は土塁になり、その外側にも緩斜面が残っている。外側の斜面は自然の急斜面で堀は確認できない。
近くにあるグラウンドに中山八幡神社に駐車するよう案内されている。グラウンドの前の道を東へ進んで行くと越山城への道標が出ている。
最寄り駅(直線距離)