築城年代は定かではない。元亀年間(1570年〜1573年)には西郷純堯の家臣尾和谷軍兵衛(馬場権平)が在城していた。
元亀3年(1572年)西郷氏は武雄の後藤貴明、平戸の松浦鎮信と結んで大村氏を攻めた。この戦いで尾和谷軍兵衛は大村の軍勢に討ち取られた。天正2年(1574年)には尾和谷弥三郎も大村氏との戦いで討死している。
尾和谷城は本明川に沿った高台に築かれていたという。 山上には「開(ひらき)」という集落がある。
尾和谷城の正確な位置は不明であるが、『日本城郭大系』によれば、「開の辻」に城館があったという。開の集落の北側にある墓地の一角に「開の辻の六地蔵石幢」という市指定文化財があり、この辺りにあったものと思われる。