築城年代は定かではないが文明6年(1474年)頃に西郷尚善によって築かれたと云われる。 西郷氏は尚善の時に伊佐早次郎入道を討って、宇木城から諫早へ進出して船越城に入り、高城を築いてこれに移ったという。
天正15年(1587年)豊臣秀吉の九州征伐に参陣しなかった西郷氏は所領を没収され、替わって龍造寺家晴が諫早に入部し一万石余を領した。家晴の子直孝の時、諫早氏を名乗り諫早家は独立した大名であったが、直孝が病身で江戸でのご奉公ができないとの理由で大名を破棄し佐賀藩の家老となった。諫早氏は高城城を居城として維持していたが、五代茂門の時、財政難によって城が維持できなくなり、東麓に諫早陣屋を構えて居城とした。
高城は本明川の南岸に面した丘陵に築かれている。北は本明川、南は湿地、四方に高櫓を構え、東に大手口・本門・桜馬場があったという。
城山の南、県道41号線沿いに諫早公園の駐車場があり、遊歩道がある。
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