築城年代は定かではないが平治元年(1159年)頃に藤原通良によって築かれたと云われる。 平治元年(1159年)藤原通良は平氏に対して蜂起したて籠ったが、平氏の大軍に包囲され落城する。
鎌倉時代に通良の子通俊が綾部荘を賜わり綾部氏を名乗って居城とした。その後は九州探題方の拠点として利用され、永正年間(1504年〜1521年)には九州探題渋川氏を追って大宰少弐武藤氏の居城となった。 しかし大宰少弐武藤氏は元亀2年(1571年)滅亡した。
その後は筑紫氏の城となっていたが、天正年間(1573年〜1592年)頃には龍造寺氏の家臣綾部鎮幸が城主となっていた。
宮山城は綾部城とも呼ばれるが、一般的に綾部城はこの辺り一帯の城郭群(少弐山城,白虎山城,臥牛城など)を指しているとされる。
宮山城は綾部八幡宮の北西背後の聳える標高127.2mの宮山に築かれている。
主郭は山頂にあり中央に一段小高い土壇があって社が祀られている。主郭の南から降りて行く虎口ルートは竪堀を入れた小さな腰曲輪を経てつづらに降りて行くようになっており、それを降った所に「城ダン」と呼ばれる広い曲輪がある。この曲輪に出る部分に土塁があり蔀土塁であろうか、上には綾部城の石碑がある。
主郭の西山腹には上下二段になった畝状竪堀群があるが、現状は浅く不明瞭である。
綾部神社の駐車場が利用でき、神社境内から遊歩道がある。
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