築城年代は定かではない。古くは鎮西源為朝による築城伝説があり、矢橋宗親や木原氏一族の居城であったとも伝えられる。
文亀4年(1504年)に名和顕忠が古麓城を追われて木原城に移り、さらに宇土古城へ移り住んだことが「相良家文書」に記されている。
木原城は木原不動尊の奥の院のある城山の山頂に築かれており、奥の院の西背後の頂にある。
主郭は山頂の西端の頂部で西側尾根は堀切で遮断し堀切に面して土塁が付いている。 この主郭から東尾根と北東尾根に階段状に曲輪が付いているが、東尾根の曲輪群のほうが広く良く削平されている。主郭から堀切を挟んだ西側にも削平された曲輪がある。 南西に伸びている尾根には堀切と土塁の残欠のような地形と土橋状の地形があり、多重の堀切があったかもしれない。
木原不動尊が目印で、そこから北の県道に戻る途中に西側に曲がる道があり、それを進むと南側に折れて木原不動奥の院まで続く林道の入口がある。車で終点まで行くことができる。
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