詳細不明。弘治年間から永禄年間にかけて阿蘇氏家臣の鈞野民部小輔が城主であったと云われる。また、弓術に秀でた辻姫なる人物が城主であったとも云われる。
城は国道3号線と国道266号線の交差点の南側にある曲野集落にあり、北東方向から南西方向に延びた丘陵地帯に築かれている。
現在大半は開墾されて畑となっているが、南東側にある竹林の中に空堀が残っている。
カーナビにも道路が載っていない集落内の細い道路の脇にある案内板が目印であるが、探しながら走ってもなかなか見付からなかった。場所は囲集落の北東にあり、北東から南西に緩やかに降る道の右カーブの所に案内板があった。
この辺りの城址には案内板が設置されている所がいくつかあるのだが、何故か発見しづらい場所に設置されている気がする。
最寄り駅(直線距離)