建武2年(1336年)刈谷佐衛門(左衛門)によって築かれたと云われる。
以下標柱に記された文より「備中田根城主、刈谷佐衛門大夫は、後醍醐天皇を隠岐に遷し奉らんとするとき忠勤をつとめた。忠功により田根村七百貫の地を賜い小屋に居城を築き城主となる。時に佐衛門三十八歳なり建武2年(1336年)」
城は種八幡神社の山の北にある小山に築かれている。
北東端に鉄塔が建つが南西方向に削平地が広がり、南側に一段下がった所に神社?がある。途中神社付近で途切れているが西から南の斜面に横堀があり、西の横堀は南北両端が竪堀に変化している。南にある帯曲輪状の平坦地の端には土塁状の高まりがあるが、遺構かどうかはわからない。