築城年代は定かではないが藤井好重によって築かれたと云われる。 藤井氏の出自は諸説あるが、下野国小山氏の支族小山政秀が下野国那賀郡藤井郷を領して藤井氏を名乗ったのが始まりとされる。
文明年間(1469年〜1487年)頃、藤井氏は中山城主河合重行を頼っていたが、藤井皓玄はその後に勢力を伸ばし備後国神辺城主山名氏の家老を務めた。
天文19年(1550年)備後国神辺城は大内氏によって攻略され、その後杉原盛重が城主となっていたが、杉原盛重が毛利氏に従って九州へ出陣中に尼子氏が藤井皓玄を扇動して備後国神辺城を占拠させた。しかし永禄12年(1569年)毛利氏は村上亮康に命じて備後国神辺城を攻略させ皓玄は討死したという。
城は小田川の西岸にあり、川に沿って南東に伸びた丘陵の南の先端頂部に築かれており、井原市役所吉井支所のすぐ北にある。
主郭は山頂にあって北の尾根を二重堀切で断ち切っている。南下に一段、東下に一段曲輪がある。城跡はきれいに整備されており、一目で城山だとわかる。背後の堀切まで整備されているのは嬉しいかぎり。
井原市役所吉井支所が目印。西側の道路に案内板がある。
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