築城年代は定かではないが永正年間(1504〜1521年)に小鼻直顕によって築かれたと云われる。 直顕は関東管領上杉顕定の二男で伊勢宗瑞に追われて越後に逃れた後、大内氏の援助で二千八百貫の所領を得て高原城を築き、小畠氏を名乗ったと云う。その後、天文19年(1550年)落城した。
城は高原地区の西端にある丘陵に築かれている。
城は南北二段で周囲に石積が残るが城の遺構か畑として転用された時のものかはっきりしない。石積の井戸が残っている。
高原地区の西端にある。場所がわからなければ高原荘・高原集会所を目指すと地図がある。民家の敷地であるので見学許可を得てから散策すること。