斯波兼頼の墓(光明寺)しばかねよりのはか
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斯波兼頼は奥州探題斯波家兼の次男で山形藩主となった最上氏の祖となる人物である。 延文元年(1356年)陸奥国大崎から山形に入部して山形城を築き、南朝方勢力を封じた。
最上氏は兼頼から数えること11代最上義光の時代に勢力を拡大し、江戸時代には山形藩五十七万石の大名となる。
光明寺が斯波兼頼の菩提寺で、境内に斯波兼頼の墓があり、本堂には等身大の木造が安置されているという。