光禅寺は山形藩初代最上義光、2代最上家親、3代最上義俊の菩提寺である。
境内には最上義光ならびに家親、義俊の墓があり、隣には最上義光の死に殉じた四人の家臣の墓が並んでいる。また、山形城の二の丸から発掘された永仁2年(1376年)の板碑があり、最上の祖斯波兼頼が城内に草庵を結んで出家した翌年のものである。
光禅寺は慶長7年(1602年)最上義光が向川寺九世春林禅寺冬和尚を拝請して開創したもので、はじめは慶長寺と称していたが、2代家親の時代に光禅寺と改称したものである。もとは現在の長源寺の場所にあったが、最上氏改易後に入部した鳥居氏によって現在の場所に移転させられた。
光禅寺には江戸時代初期のものと推測される庭園があり市指定名勝となっている。