最上義光の墓(光禅寺)もがみよしあきのはか

城郭放浪記


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最上義光の墓(光禅寺)の写真
掲載写真数
種類
墓碑
文化財指定
なし/不明
説 明

光禅寺は山形藩初代最上義光、2代最上家親、3代最上義俊の菩提寺である。

境内には最上義光ならびに家親、義俊の墓があり、隣には最上義光の死に殉じた四人の家臣の墓が並んでいる。また、山形城の二の丸から発掘された永仁2年(1376年)の板碑があり、最上の祖斯波兼頼が城内に草庵を結んで出家した翌年のものである。

光禅寺は慶長7年(1602年)最上義光が向川寺九世春林禅寺冬和尚を拝請して開創したもので、はじめは慶長寺と称していたが、2代家親の時代に光禅寺と改称したものである。もとは現在の長源寺の場所にあったが、最上氏改易後に入部した鳥居氏によって現在の場所に移転させられた。

光禅寺には江戸時代初期のものと推測される庭園があり市指定名勝となっている。

最上義光の墓(光禅寺)の写真
21:山形藩2代最上家親の墓
最上義光の墓(光禅寺)の写真
22:山形藩3代最上義俊の墓
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17:永和2年の板碑
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15:最上義光殉死者の墓
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6:光禅寺
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9:光禅寺庭園
案 内
最寄り駅(直線距離)
1.2km 山形駅
3.0km 北山形駅
4.6km 蔵王駅
5.1km 東金井駅
5.4km 羽前千歳駅
所在地/地図
山形県山形市鉄砲町2-5(光禅寺)
付近の史跡(直線距離)
1.3km 斯波兼頼の墓(光明寺)
2.7km 出羽国分寺
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