和田惟政の墓(伊勢寺)わだこれまさのはか
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和田惟政は近江国甲賀郡和田の出身で甲賀武士53家の一人であった。将軍足利義輝、義昭に仕え、高槻城主となったが、元亀2年(1571年)池田知正と白井河原で戦って敗れ討死した。
伊勢寺にある和田惟政の墓は、享保年間に高槻城を改修したときに発見された墓石を移したものと云われている。