伊集院忠真は伊集院忠棟の嫡男である。慶長4年(1599年)父忠棟が京都の伏見島津屋敷で島津忠恒によって謀殺されると家督を継いで都之城城主となったが、事件を知った忠真は反旗を翻し都之城などに籠城して庄内の乱を起こした。乱は徳川家康の仲裁によって和睦となったが、慶長7年(1602年)上洛する島津忠恒に同行を命ぜられた忠真は野尻滞在中の鹿狩りに乗じて討たれてしまい、伊集院家は滅亡する。
国道268号線沿い、市役所野尻庁舎の西に『伊集院源次郎忠真の供養塔』があり小公園になっている。供養塔の隣には忠真と間違った討たれた平田四郎の供養塔、忠真の家臣の墓石などがある。