毛利隆元は毛利元就の嫡男で広島城を築いた毛利輝元の父である。
永禄6年(1563年)毛利隆元は友宗麟と和議を結んだことで、出雲の尼子氏攻めの援軍として山口から吉田郡山城を経て出雲へと進んだ。隆元はこの地で備後の国人和智誠春から饗応を受け、宿舎である蓮華寺に戻った所、急病を発しこの地で急死した。
死後この地で火葬され郡山城へと移され墓が建立された。「毛利隆元逝去の地」は火葬場跡に建てられたものという。
国道433号線沿いに道標が出ている。付近に駐車することはできない。国道から少し登って民家の庭先を通った先に石碑がある。
最寄り駅(直線距離)