平岡頼資の墓(専養寺)ひらおかよりすけのはか
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平岡頼資は平野頼勝の嫡男で徳野藩二代藩主であった。承応2年(1653年)に頼資が没したが嫡子頼重は家督を継ぐことを許されず徳野藩は改易、平岡頼重には改めて一千石が与えられ旗本となった。家督を継ぐことができなかったのは、嫡子頼重と庶長子平岡新十郎との家督争いの他、二代頼資生前の「不法の事」が理由とされる。
平岡頼資の墓は専養寺にある。