平岡頼勝の墓(禅台寺)ひらおかよりかつのはか
△トップに戻る
平岡石見守頼勝は父溝杭頼俊とともに諸国を流浪していたが、豊臣秀吉によって見出され、小早川秀秋の家老となった。関ヶ原合戦では秀秋を東軍へと導き、戦後備前国児島で二万石を与えられた。秀秋が没して小早川家が改易となると再び流浪の身となるが、後に徳川家康に仕え美濃徳野で一万石余りを領し徳野陣屋を構えた。
平岡頼勝の墓は禅台寺の境内にある。