詳細不明。伊勢の北畠氏の家臣新発蔵人亮が築いたとも云われるが定かではない。この辺りは江戸時代の慶長年間(1596年〜1615年)より前は伊賀国名張郡に属し、以降は大和国宇陀郡に属した地域だという。
秋葉城は菅野川と神末川の間に聳える標高666.4mの山に築かれている。かつて秋葉社が祀られていたことからこの名が付いたようである。
主郭は山頂に南北に伸びた尾根で中央に堀切があり、北の曲輪は無線中継塔、南の曲輪は三角点がある。北はさらに一条の堀切があり、堀切に電波塔が建っている。南も堀切があり、かつて秋葉社が祀られていた土壇がある。
南の牛峠から北西の道に入ると山の谷間を入って行く作業林道がある。この作業林道を使って山の谷を入って行き、適当なところから尾根に登って山頂を目指すが、間伐した木々がうち捨てられていて登りづらい。南東方面に歩きやすい山道が付いていたので、それを使って降りてみたが林業作業場のようなところへ繋がっていた。もう少し南の尾根を歩けば国道に出られるかもしれないが、目立つ場所ではないので南から登るのが良いだろう。
最寄り駅(直線距離)