詳細不明。敷地氏一族の城で天文から天正年間(1532年〜1592年)頃の城主は敷地官兵衛と伝えられる。
柚ノ木城は南東に向かって伸びた尾根の比高50m程の山に築かれており、現在は遊歩道が整備されている。
三重堀切で区画された東西二郭の城で、西が主郭となる。主郭の北西背後は堀切で、その先にもやや離れて堀切があり、その間にいくつかの穴が残り、堀切には一定間隔で穴が空いている。落とし穴とも云われているが、城に伴う遺構かどうかは不明である。
東曲輪は主郭との間に三重堀切があり、東下にも堀切がある。北山腹には畝状竪堀、南は土塁の付いた腰曲輪があり、小規模であるが堅固な備えとなっている。
現在の登山道入口には敷地氏一族の墓があり、五輪塔や宝篋印塔の一部がある。また南麓には菩提寺であった興福寺跡があり、お堂の中には敷地藤康の位牌などが現存している。
民家の間から入って一段小高くなった所が興福寺跡。整備された登山道はその北側からあり、道路を迂回したところにある。
最寄り駅(直線距離)