掲載写真数
形態
山城(104m/-)
別 名
なし
文化財指定
町指定史跡
遺 構
石垣,土塁,郭,堀,井戸
城 主
佐竹氏
歴 史
築城年代は定かではない。
城主は佐竹氏で承久の乱の時、佐竹信濃守と後藤基之が入部したことにはじまる。
南北朝時代には北朝方として戦った。
戦国時代に入ると一条氏に属したが元亀2年(1571年)長宗我部氏の軍門に下り、以後久武氏等とともに転戦した。
説 明
豪快な竪堀と堀切が多用された城で4時間弱歩き回って楽しむ事ができた。
主郭は東西に長く少し曲がった長方形で周囲は土塁で囲まれ隅部は櫓台のようである。南北に虎口があり、虎口を入るとすぐに長方形の池か井戸のような遺構があり、そこに石碑が建っている。主郭の西側には社が奉られているが、その奥が一段高くなっている。
北の虎口を降りると石段(石が崩れただけかも)のようになっており、その付近に石垣を見る事ができる。
南側の虎口を降りると東側の曲輪に至るがここも周囲を土塁で囲い主郭の北側の帯曲輪へと続く。ここの土塁は土止の石積がなされているようで、小さな石の塊が至る所に残っている。
主郭の西側下には畝状竪堀群があり、南へ続く尾根を五重の堀切で断ち切っているのだが、これを見るのには大変苦労した。
竪堀群の辺りから回り込もうとしたが倒木が折り重なって身動きが取れなくなり、やむなく引き返して主郭の南西隅から切岸を降り、堀切を探す。堀切部分も雑木が邪魔で東面を迂回しながら、なんとか五条確認することができた。
案 内
久礼中学校の体育館裏から登ることとなるので、許可を頂いてからになる。nhkの無線中継施設や社もあるので他に道がないか探してみたが見付からなかった。
体育館裏の水が落ちている所からよじ登り、少し右奥に進むと道がある。最寄り駅(直線距離)
0.4km 土佐久礼駅
5.5km 安和駅
7.3km 影野駅
8.3km 土佐新荘駅
8.8km 六反地駅
所在地/地図
最終訪問日
2007年10月