相応峰寺は天平年間に行基によって開かれた寺院と伝えられ、九品寺山 極楽寺と称されていたが、のちに観世音山 相応峰寺と改称した天台宗の寺院である。
天正8年(1580年)織田軍の羽柴秀長の但馬侵攻のさいに兵火のよって全焼したと伝えられ、江戸時代に再建されたという。
相応峰寺城は日本海に面した標高245mの観音山に築かれており、現在は山頂下にある相応峰寺圓通殿への参道が整備されている。
三角点のある一番高いところは展望台としてベンチなどが置かれており、圓通殿はその下方に建てられている。山頂付近には無数に平段があり、山岳寺院として数多くの坊が建っていたことを伺わせる。
城郭としての遺構は、南東尾根先側にある堀切はじめ、北側面に畝状竪堀群がある。圓通殿のすぐ上にも堀切状になっているが切通のようでもある。
麓にある相応峰寺に駐車場があり、脇に整備された参道の入口がある。
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