但馬 志馬比城たじま しまひじょう

城郭放浪記


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但馬 志馬比城の写真
掲載写真数
形態
山城(62m/60m)
別 名
島山城
文化財指定
なし/不明
遺 構
土塁,曲輪,堀切,畝状竪堀群,竪堀
城 主
篠部氏,石津氏
縄張図
志馬比城縄張図
歴 史

築城年代は定かではない。

伝承によれば城主は篠部氏で、延元元年(1336年)篠部有信のときに、釣鐘尾城主野石甲斐守源太、塔の尾城主長九郎左衛門に攻められ落城、以降長氏一族の城となったという。

寛延3年(1750年)に差し出された文書に「嶋山城主石津甲斐守様」とあり、弘治3年の『但馬国にしかた日記』には七日市場に「石津殿」が居住していることから、戦国時代末期には石津氏の城であったと考えられている。

説 明

志馬比城は香住駅の南に隣接し、矢田川に沿った独立丘陵に築かれている。

城の中心部は南東の最高所で、北西に細長く伸びた尾根は現在島山公園となっているが、ここも本来は城域であったが、遺構は消滅している。

主郭Iは東西二段で広く削平されているが、土塁はない。北東隅が虎口のようで通路がついており、北東の竪堀群の間を下っているがその先は不明である。この主郭の北と東側面にびっしりと畝状竪堀群1、2、3が設けられている。

南西に伸びる尾根に曲輪IIがありその下方に弓なり状の堀8がある。南下には城内で最も広い曲輪IIIが東西に伸びている。

南山腹には削平段がつけられているが、畑として利用されていたようである。南西に伸びる尾根に竪堀9があるが、もともとは堀切の可能性がある。

北西に伸びる尾根は二重堀切5があるが、この辺りも地形改変されている雰囲気がある。二重堀切5は堀切部分より低いところから竪堀が伸びており、堀切の鞍部を埋めたような感じになっている。主郭下の削平地も北側は土塁から竪堀が伸びており、土塁の内側は削られた痕跡があることから、堀切の可能性がある。そうなると三重堀切でVIに近い一番外側が箱堀となる。

曲輪VIはほぼ自然地形で、かつて西城があったとされる島山公園に続く尾根に二ヶ所(堀切6、堀切7)の堀切地形が確認できる。

案 内

鳥山公園から登る方法と南側から貯水タンクへ登るルートがある。

鳥山公園に駐車スペースがあるが、そこまでの道が狭く街路樹もあるため小型車でないと難しい。鳥山公園に続く道の入口付近が広くそこに駐めた。

最寄り駅(直線距離)
0.2km 香住駅
3.8km 柴山駅
4.9km 鎧駅
6.0km 佐津駅
6.3km 餘部駅
主な参考文献
【図解】近畿の城郭I(戎光祥出版)
香美町の城郭集成(香美町教育委員会)
日本城郭大系〈第12巻〉大阪・兵庫(新人物往来社)
所在地/地図
兵庫県美方郡香美町香住区香住字島山
GPSトラックデータダウンロード :[KML形式 ][GPX形式 ]
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最終訪問日
2024年4月
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