築城年代は定かではない。延元元年(1336年)釣鐘尾城主であった野石甲斐守源太は塔の尾城主長氏と計って志馬比城を攻め落としたという。
釣鐘尾城は矢田川が蛇行する地点に張り出した比高90mほどの丘陵に築かれている。
堀切を挟んで北と南に二つの曲輪群があり、主郭と副郭の関係にあると考えられるが、その構造は異なっている。
主郭となる北城は東端に土塁を伴う虎口があり、外側に直線的なスロープが付いている。主郭の周囲には竪堀を多く配し、尾根には小さな段曲輪群を配している。大手は北東の谷筋であろうか。
北城と堀切を挟んで南にあるのが南城で、北城よりも若干低い。南城は概ね土塁囲みで主郭よりも広い。特徴は北西隅のあたりに折れを伴う構造があり、下部には横堀も設けている。尾根続きとなる南側は堀切や竪堀があるものの、北側より構造的に簡易であり、南からの防御を増強するよりは、北城の側面への防御を補完する意図が感じられる。
明瞭な道はないので、東の道路側から登りやすそうなところをよじ登る。車は県道から北の道路に曲がったあたりに駐められる。
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