築城年代は定かではないが、仁科氏が南方の備えとして築いたものと推測されている。
城主は仁科氏の家臣の矢口氏で、矢口備後守知光、則知、矢口筑前などの名が残る。
西山城は大洞山から東へ伸びた尾根の先端にある、標高870.4mの城山に築かれている。 西山城はこの山頂部分を中心とした曲輪群と、東の標高790mから東側一帯に築かれた東曲輪群から成る。
東曲輪群は山頂の曲輪群より古い形態で、この辺りの山城によく見られる尾根の背後を多重の堀切で遮断し、堀切で区画された曲輪を並べた連郭式の縄張りである。 二の曲輪と記された曲輪が旧来の主郭のようで、西背後に土塁を設け、その先の尾根は二重堀切と少し離れた一条堀切で遮断している。ここから東尾根の先端に向けて堀切で遮断した小郭が連なり、先端の三の曲輪に至る。
二の曲輪から城山山頂までの間は「鎧懸の松」と書かれた老松がある以外、特にめぼしいものはなく、自然地形で山頂付近に至る。
山頂の主郭部は、武田氏によって改修された部分とみられ、城山神社が鎮座している。神社の境内には低い土塁が巡り、北から西側にかけて横堀があり、北側は更に一条の堀切を設けて遮断している。西尾根側は堀切はなく、ハの字に竪堀が付いている。
城山の東麓を南北に通る県道306号線沿いに登山口があり、専用の駐車場がある。
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