日本城郭全集によれば、慶長10年(1605年)鍋島氏の宗家刑部(鍋島忠茂か?)が郡、大戸など五千石を賜ったのが始まりで、元和2年(1616年)郡陣屋を構えて七代内匠まで続き、元禄11年(1698年)に遠江へ移されたという。
おそらく、鍋島直茂の次男鍋島忠茂を祖とする旗本鍋島家の陣屋と思われる。忠茂は徳川秀忠に仕えて下総に五千石の所領が与えられ、その後、肥前国鹿島に二万石を与えられて大名となっている。しかし、忠茂の子、鍋島正茂のとき、鹿島二万石を捨てて旗本五千石に戻っている。七代内匠とあるのは、鍋島内匠長行のことであろう。「御家人分限帳」では「寄合」として鍋島内匠(帯刀養子)遠江・三河にて五千石とある。
郡陣屋は県道110号線沿いにある「おかべ観音堂」の近くであったと思われるが場所はわからなかった。 「千葉県所在中近世城館跡詳細分布調査報告書」や「日本城郭大系」によれば、方形単郭で現在は宅地となり水堀の一部が残るという。