築城年代は定かではないが応永年間(1394年〜1428年)に真田義忠(佐奈田)によって築かれたと云われる。 真田義忠は岡崎城主岡崎義実の子である。
その後、室町時代中期に上田氏によって改修されたが、永正元年(1504年)両上杉氏による真田合戦の舞台となり真田城は落城した。
天正2年(1574年)には天徳寺が鈴木隼人によって建立されており、この時には既に廃城となっていた。
現在も天徳寺の境内となり、本堂の北側にある墓地の北東隅には歴代住職の墓所となった、櫓台が残っている。
天徳寺の南側に一瞬空堀跡かと思わせる地形があるが、単に工事中のようである。