詳細不明。宝徳4年(1452年)山田経光によって築かれたとも云われるが諸説ありはっきりしない。 経光は藤原氏の末裔といわれるが、享徳元年(1452年)には対岸の瀬谷郷に住んでおり、その後については定かではない。
深見城は境川に面した段丘の端に位置し、浄化センターの隣に遺構が残るが、エッジが緩く現地で見るとあまりパッとしない遺構が拡がる。下鶴間資料館に模型が展示されているのであらかじめ見学しておくと良いだろう。
境川に面した北端に東西に長い主郭があり、北を除く三方に土塁が付く。虎口は東西に2か所あり、外側はわかりにくくなっているが土橋で接続されていた。虎口はともに平入であるが、土塁の外側が折れて横矢が掛けられるようになっている。
主郭の南側に小規模な曲輪II、III、IV、Vがあるが、IVのみ独立し残りは接続されていたようである。
城山史跡公園の一角と思われるが入口にある案内板程度で公園という雰囲気はあまりない。駐車場もなく、歩道になった天竺坂の入口付近にかろうじて一台止められるスペースがある程度。
最寄り駅(直線距離)