築城年だは定かではない。初代勝連按司は浦添グスク英祖王系二代大成王の五男と伝えられる。
英祖大系の王統は五代まで続いたが嗣子がいなかったため、伊波グスク按司の六男を養子に迎え六代を継がせた。七代、八代は浜川按司、九代が茂知附按司となる。
九代茂知附按司は圧政を敷いたことから、領民が信頼を寄せる加那によって倒され、按司となった加那は阿麻和利と名乗った。善政を敷いて貿易によって力を付けた阿麻和利は1458年中城グスクの護佐丸を倒して首里グスクを攻めたが大敗する。その後、越来賢雄を総大将とする首里軍によって攻められ、勝連グスクに籠もってこれに対抗したが落城し、阿麻和利も討たれた。これによって勝連グスクは廃城となった。
勝連グスクは標高97.9mの山に築かれており、現在は公園として整備されている。
最高所の北西隅を一郭とし、南東方向に二郭、三郭、四郭と連ねる縄張りで石塁で囲まれていた四郭はかなり広い。資料によれば、さらに東にも東郭があり堀切状遺構というものもあるようだが現状見学はできそうにない。
東麓に無料駐車場がある。